| Mohlam&Loogthung |
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ここに紹介する”モーラム””ルークトゥン”なるジャンルは老若男女問わず広く愛され、常に変化し続けている。が、バンコクの若者の中には愛さない人が最近増えているようだ。事実、2004年10月現在、CD warehouseやチャトチャックのCDショップではモーラム・ルークトゥン系のアルバムが店頭から激減どころか、探すのに一苦労である。
ところで、この2つのジャンルについてだが、分かりやすく言えば、以下のものである。
・モーラム
どちらかというと米国のラグタイムブルーズと共通点が見られる。
えっ?とお思いの方もいるだろうが、このモーラムとブルーズは非常によく似ている。
まず使用楽器。モーラムではドラムなどの打楽器のほかにギターやピンなどの弦楽器、そしてケーンという笙に似た竹製管楽器を使う。ブルーズではドラム、ギター、ベース、そしてハープであるが、各パートの役割が非常によく似ている。
そして演奏面にも共通点があり、モーラムではドラムのリズムは一辺倒でギター、またはピンがヴォーカルの裏メロを奏で、リズムをとりながらケーンが伴奏をつけるのをブルーズでもリズムはシャッフルながら一辺倒でスライドギターがヴォーカルの裏メロを奏で、ハープが伴奏を取って時折ソロを吹くと非常によく似ている。また使用コードも基本は1コードから3コード程度で歌メロも大体オーソドックスなパターンがあるところもよく似ている。
以上のことから、モーラムは正にタイのブルーズであると言えよう。
・ルークトゥン
ジャンルの壁を越えたルークトゥンのもつ音楽性は日本の昭和時代の歌謡曲とほぼ同様である。またルークトゥンはこの昭和歌謡に当てはめて考えてみると一見対照的であるルーククルンと非常に深い関係があることが分かってくる。
裏付けが無いことははじめに申し上げておくが、初期ルークトゥンとルーククルンの出来上がる過程においてジャズ。そしてラテン音楽は避けては通れない部分である。
この2ジャンルは昭和歌謡においても必須ジャンルであり、日本、そしてタイに於いて主に用いられていたリズムがジャズのフォックスロット、そしてラテンのチャチャのリズムである。
また、日タイ両国に古くから存在する民謡(つまりブルーズの部分)と、前述のリズムの融合によって成り立っている。
更にそこからの発展段階に於いても、同じように主旋律に無理やり英語的なものを入れず、あくまで自国の言語を有効活用した歌詞配分、メロディをつけている部分も良く似ている。
ただ、そこからルークトゥンはルークトゥン&プレーンタイサーコンと2極化し、一方、日本の歌謡曲はJ-POPと名を変え、くだらない音楽に成り下がってしまったのである。
ここで、何故日本は歌謡曲を捨てたのかはわからないが、タイがルークトゥンを捨てずにこれたのかはなんとなく分かるような気がする。
それは東南アジア独特の「我、関せず」の精神のよってマスコミに操作されなかったのかもしれない。また自らの文化に誇りを持ち続けた結果がこれなのかもしれない。
確かに現在のタイ音楽シーンに於いてモーラムやルークトゥンは日本の演歌のようなアンダーグラウンド的存在なのかもしれないが、全く違うことを念頭において各項目を読んで頂きたい。
最近でこそ他ジャンルとの融合に成功し、モーラム歌手と一口に言っても様々なタイプが誕生してきたが、チンタラープーンラープだけは昔から殆ど変わることなく、20年以上歌い続けてきた。
ある意味、進化とは程遠い道を歩み続けたチンタラーの姿勢には敬服するところもあるし、手持ちのアルバムもある程度増えたこともあって今回紹介することにした。
| 安っぽいキーボードでゆったりと流れるメロディ、チンタラー独自のちょっとかすれた声。その声にはシリポンのような哀しみより下半身が反応するようなハスキーボイスである。 今回改めて本作を聴きなおしてみると、この頃はとくに追分調のモーラムが多く、A面側はラストの曲を除き追分調モーラム。対してB面側は明るく軽快なモーラムが多い。 もし、モーラム初心者で演歌に対して免疫のない方が聴くのなら、本作は単につまらない作品に終わることになるだろう。 何故なら、スローテンポでコード進行も殆ど無いからである。 こういった落ち着いたアルバムはある程度軽快なルークトゥン、そしてリズムを強調したラムシンあたりを聴きまくった後でないとまず良さが分からない。もっと深く突っ込めばプアチィウィットあたりの良さも噛締めてから聴くほうがより楽しめるかもしれない。 |
Ruam Hit Jintarah Poonlap (2000) ![]() |
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| 2000年以降のチンタラーしか知らない私であるが、その中でも本作は傑作中の傑作であることは間違いない。彼女のかすれたコブシは全開、またラムも全開でこれこそモーラムの模倣盤といっても過言ではない。その中でもサブタイトル曲のテンモーチンタラーは絶品。 本作での彼女の歌声もさることながら、ベーシストであり、サウンドプロデュースもしているサワディサンカームもなかなかいいベースラインを奏でており、サワディ、そしてチンタラーの両者がモーラムというジャンルの中で洗濯物のようにがっちりと絡み合っているところも聴き逃せない。 〜サワディサンカームとは誰ぞ?という声が聞こえてきそうなので、私の分かる範囲で説明を〜 彼はモーラム界で知らない人は居ないほどのプロデューサーであり、数々の歌手のプロデュースをしている。またサワディ氏は別の顔も持ち、ロックサレーンのベーシストとしても活躍しながらプアチィウィット系バンドでもピンを弾くなどの活動もしているようである。 |
Mohlam Saon 5 =tengmoh jintarah=(2001) ![]() |
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| ちょうどこのアルバムが出る1年前にトンチャイとの競演で彼女に何年ぶりかにスポットが当たり、その勢いで出したアルバムがこれである。 多分トンチャイとの曲あたりを想像して購入した方々は本作を聴いて愕然としたに違いない(笑) しかし、これがチンタラーといえばそうなのだ。そしてこのまったり感こそがチンタラーの持ち味なのである。"Silong Bueng"や"Pad Toa Kon Loh"などはそれなりに鈍臭くていい曲だし、 しかし、あの曲のお陰でにわかファンには「こんなのいらん」だの「思ってたのと違う〜」という悪い印象しか残らなかったようである。 ただ、モーラム界においてはチンタラーのように"今風"の格好でモーラムを歌うことに抵抗はなくなったようで、様々な新人歌手がラフな格好でモーラムやルークトゥンを歌うようになった。それが良いか悪いかは次の作品が出た頃に判明するのである… このジャケを見ると、さすがにこれが40手前には見えない。 |
Jinma lew ja 1 (2003) ![]() |
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| 本作も前作同様、トンチャイとの競演熱が冷め止まぬうちにと発表されたアルバム。 米国系黒人歌手"ビヨンセ"のジャケをまんまパクっと頂いたジャケということで一応は話題を呼んだアルバムであるが、いかんせん音楽的話題より「化粧がうまくなった」だの「整形した」だのルックス上の話ばかりが先行して結果的に好セールスとはいかなかった。 本作あたりから彼女特有のかすれたコブシが影を潜め始めてきている。 本人がそういう歌い方に疲れたのだろうか?それとも「これからはもうコブシなんて必要ないわよ!そんなもの無くたってこれだけ人気があるんだから!」などと思い上がってしまったのだろうか? 悲しいかな、このアルバム発表あたりから名も無いルックスだけの歌手が各レーベルから乱発され、更に大手レーベルからルークトゥンネタのポップアルバムを乱発したことにより、せっかく盛り上がったモーラム&ルークトゥンブームは単なる"いちブーム"で終息してしまうこととなった。 |
Mohlam Saon 8 =roop lohlay mia=(2003) ![]() |
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| タイ関連のアルバムをこれまで購入している方ならご存知かと思うが、いわゆるベスト盤と呼ばれる"ルアムヒット"ものに当たりは少ない。このタイトルはモーラムやルークトゥンに限らず各ジャンルで見受けられるが、その殆どは場つなぎ的なもので、中には「こんな曲、いつヒットしたんだ!?」と思われるような曲も平気で挿入されている。 それが歌手の意向(つまり歌い手が純粋に好きな曲)であればそれなりに納得いくのであるが、そんなことはまぁない。 しかし、チンタラーの場合ベスト盤=場つなぎ的でつまらないという方式は当てはまらない。 何故なら、どのアルバムも殆ど色合いが変わることなく制作されているからである(笑) 因みにチンタラーの特長といえば、追分調モーラムでルークトゥン的アプローチをするモーラム歌手だが、本作に追分調のものはたった3曲。あとの8曲は典型的モーラムで、11曲目ではアンカナーン・クンチャイばりに初期モーラムの色合いを強く出した曲となっている。 声質的には、こちらの路線にいったほうがよさそうな気もするが、セールス的なものも気にするとそうもいかないだろう… |
Ruam Hit Album =fen jintarah=(2003) ![]() |
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| 本作はチンタラーの今までのシリーズ「モーラムサオーン」と共に継続中のシリーズで、この「ルークトゥン…」は例年なら毎年1月か2月に発表されていたのだが、昨年のトンチャイとの全国ツアーと追加アルバム「フェーンチャー…サニッガンレーウチャー」への参加、そして自作「チン・マー・レーウ・チャー」の発表と大忙しだったためだいぶ発表が遅れていたようだ。 今回はVCDということもあり、どうしても視覚的な部分で判断しがちになってしまうが、まぁ映像処理といい、バックダンサーの衣装といい、サイケデリックである。 本作ではサブタイトルどおりしんみりとしたルークトゥン、追分調モーラムが大半占められており、そちら方面が好きな方は十分に満足のいくものである。 彼女のようにルークトゥンを歌うモーラム歌手は他にも存在するが、逆にルークトゥン歌手でモーラムを歌うというのはワイポットペットスパンとユイ以外聴いたことがない。 やはりモーラムは難しいのか?それともタイ人から見ればまだまだローカルなジャンルなのかはわからない。 |
Loogthung Saon 9 =sao chum pe pe ruk=(2004) ![]() |
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| サブタイトルからしてかなり期待した本作。またジャケもパンクなTシャツにスラックスとネクタイというアナーキーな出で立ちで、より一層期待を煽る。 もうここまでくると、彼女のアルバムジャケを鑑賞するだけでも価値があるような気がしてきた(笑) さて、1曲目で肩透かしを食らうも2曲目からはモーラムロックとは若干違いながらもその勢いは全開である。 今回は追分調のものはたった1曲と徹底排除した作品に仕上がっており、彼女の作品にしてはかなり"男泣き"な作品に仕上がっている。 ユーロックサドゥーやロックサレーン好きならまず気に入る内容であろう。 イントロで「YO! YO!」とヒップホップ調の曲も挑戦かと思いきや、チンタラーならではのいつものモーラムが展開していたり、サンタナの「O YE KOMO VA」と思わせる曲があったりとここに来て彼女なりの変化が見られる作品である。 もう完全に彼女のかすれたコブシを聴くことはできないが、それも彼女の選んだ道であろう。 |
Rock Mohlam Saon 10 =payanak fak ruk=(2004) ![]() |
| ルークトゥンの代表的存在であるプムプワン・ドゥアンチャン。 既に他界しているが、いまだフォロワーが後を絶たない。 2003年にはタイロックおばはん「MAI」が彼女のカヴァーアルバムを発表し、再びプムプワン人気に火がついたことは記憶に新しい。 それ以前にもジョーイシラサックや先日来日したプースリポンが彼女の曲をドラマ「サオノーイカフェ」で歌うなど本当に彼女の色は褪せることを知らない。 それは多分、彼女の短い歌手人生の中でルークトゥンというジャンルを確立させたアーティストであること、そしてアルバム毎に様々なジャンルを歌いこなす彼女のバラエティに富んだ作品が数多く存在しているからだろう。 因みに彼女のことはタイ本国のみならず、欧州方面のサイトでも数多く採り上げられている。 |
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| ファン層、曲調、声、雰囲気とどれをとってもシリポーン・アムパイポーンと日本の演歌歌手である八代亜紀とカブる。2002年のIPフェスのステージでは大物とは思えないほどボロボロのパフォーマンスだったように見えたこともあって正直言って彼女の声や歌い方は好きではない。 ただ、客観的に彼女の歌を聴いてみると、何故彼女がこれまで歌手としてやってこれたか、そして何故労働者層に人気があるのかがぼんやりとではあるが分かってきたのである。 確かにボーラックシーダムという曲を10年以上歌い続けたことも彼女の人気の定着に一役買ったことは間違いないが、それだけではなく彼女の声には「哀しみ」が感じ取れる。それは「恋人の持つ哀しみ」や「故郷の母親が持つ哀しみ」という振り分けられた女性像を描いているのではなく、もっとバリアフリーで人の取り様によっては彼女の歌が「恋人の声」になったり「母親の声」になったりするのである。 また決して上手いとは言いがたい彼女の歌には歌本来の味があるような気がする。 それは時に男の心を癒し、また時には同じ境遇に於かれている女性と共に泣く。 そう、彼女の歌には人のよどんだ心を涙で浄化する作用があるのだ…というと言い過ぎか? |
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| チャーウィーワーン・ダムヌンや、ホントーン・ダーオウドーンらの活躍が無い現在のモーラム界に於いて、唯一伝統的な歌唱法を持っている歌手がバンイェーンラッゲーンである。 声の抜けもよく、難しいコブシも彼女はすんなりとこなす。本作は力強いミディアムテンポのモーラムが大半で、昔のようなラムシン系の曲は皆無である。 それはそれでいいのだが、超絶ラムシンヴォーカルを聴かせる彼女だけに本作では不完全燃焼に終わってしまう。 で、そのラムシン系のアルバムであるが、現在はどこを探しても見つからない。一時期モーラム・ルークトゥンブームのときに再発売もされていたが、4枚組という量と500B以上という値段から買うことに億劫になってしまい入手することができなかった。今思えばあの時無理して買っておけばよかったと後悔する毎日。 もうラムシンなアルバムは出さないのだろうか?まぁ彼女も歳だから無理なんだろう。 |
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| こちらはバンイェーンの貴重なスタジオライブ映像。 彼女以外のモーラム歌手やタロックも出演しており、ステージ自体が非常に興味深い内容となっている。 演奏は生演奏とテープの半々で予めレパートリーとして曲構成が決まっているものはテープ、モーラムらしく即興での曲は生演奏という形で、こういったスタジオライブやPVの場合、殆どがカラオケ主体となった今では非常に珍しい。 数人のモーラム歌手が登場し、その後主役のバンイェーンが登場し歌い始めるシーンは、圧巻!やはり彼女の歌は別格であり、まさにモーラム(喋りの達人)そのもの。 合間に登場するタロックの下品さ、そしてそれに絡むモーラム歌手たちの下品さにも拍手をおくりたい。 |
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| もう…このパワーに絶句である。ハニーシーイサーンという歌手は私も知ってはいたが、これほどパワーのある人だとは思わなかった。 まずコブシ。若干ハスキーな声を上手く利用しているのか、自然とそうなるのか細かく地声と裏声とが入れ替わりビブラートする。それは全盛期のチンタラーなど足元に及ばず、上記のバンイェーンでさえもまだまだ修行が足りないと思わせるものである。 そして腹の底から出た声。全世界のアイドルと呼ばれている歌手たちに聴かせてやりたいほどパワフルでいて伸びのある声である。 また本作では彼女のパワーだけでなくバックバンドのパワーも感じられる。 突込み気味のスピード感あふれるリズムはリズムマシンではなかなか出せない。 しかも最近のモーラムでは聴くことのできないシャッフルからサムチャーへのリズム移行はハードコアによくある「STOP&GO」的な感覚に捉えることができる。正にこれらは酔いどれオヤジがステージからダイブしそうな勢いのあるラムシンである。 これほどの歌手がもう既に他界しているとは何とも残念な話である... |
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| 彼女の名はユイ・ヤートヤー。ルークトゥン界で一番クールな存在である。 さて、このクールという言葉を最近の日本ではかっこいいというイメージのほうが強いようだが、彼女の場合本来の意味のとおり「冷たい」ということである。 本来ルークトゥンというのは感情がこもっていて、初めて成り立つジャンルでありながら彼女の歌にはその感情というものが全く見えてこない。そう、無感情なのである(笑) ただ、本作のようなラムシン系アルバムではそのクールさが逆に心地よく感じる。なんとも皮肉な話であるが、ルークトゥン歌手に於いて致命的な感情移入がないことが、逆に彼女をヴォーカル(声)という「名器」としての価値を上げているとは本人は気づいているのだろうか? 因みに本作はラムシンといってもただのラムシンではない。プアチィウィットのカヴァーなのかプアチィウィット系アーティストに曲提供をしてもらっているのか分からないが、パヤップカムパン、そしてエートの名前がアルバムに表記されていることからプアチィウィット系のラムシンのようだ。 彼らが気持ちを込めて作った曲もユイの手にかかればそれらは無機質なメドレーに変わっていく。悲しいがこれが実は気持ちよかったりするのである。 |
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| こちらはイサーンメドレー集。彼女の作品はどうしてもこういったメドレー系のものを選んでしまう。勿論ルークトゥンアルバムもいい作品だが、どうも全てを見透かされたような恐ろしさがあるので手にとってはみるものの敬遠してしまう。その点、こういった作品ではそんなことなどお構いなしに曲は淡々と進んでいく。 イサーンの定番ソングでありながら、田舎っぽさなど微塵も感じさせない。 それよりまるで工場の流れ作業のように、無意識のうちに曲は入れ替わっていき、ちょうど半分まで来たところの無音部分でふと我に返る瞬間に見舞われる。それほど「無」になれるのだ。大袈裟に言えば彼女の歌う曲など覚えていないし、ただ気持ちよいリズムだけが体に残っているのである。 何故ルークトゥン歌手でありながらこれだけ存在感を消すことができるのか不思議である。 歌は上手いし、声も通るのに…ね。 |
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| 人というものは初めて出会った凄いものにはそれなりの思い入れがあるものだ。 私が初めて出会ったモーラムという凄いジャンルの中で初めて聴いたモーラム歌手がこのピムパーポンシリーである。 このジャケにまず当時のタイに対する文化的衝撃を受け、そして彼女の歌を聴き、腰を抜かしたのである。 今聴けば、そんなにモーラムしているアルバムでもなく、どちらかといえばルークトゥンに近い。彼女の音楽性自体ルークトゥンとモーラムを融合した「ルークトゥン・プラヨーク」なるものだから、そうなるだろう。 本作はまだ今ほど円熟味を感じるような歌い方ではなく、どちらかといえばか細く自信なさげに歌うハニーとは対照的な貧弱系歌手である。黒柳徹子のような声質でまずにやけてしまい、更にビブラートは呑み会で緊張の色を隠せない気弱なOLを彷彿させる。そそしてそれらに加えベタでコミカルな曲調と来たものだから、もう笑うしかない。 この面白さにハマり、以後モーラムやルークトゥンに入れ込んだのである。 きっかけはたとえ嘲笑のネタとしてであってもハマればもうハマった者の負けである。 |
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| 初めてピムパーを聴いてから早や7年。相変わらずジャケでは笑わせてくれるところがよろしい。 しかし、音は笑うどころか、もう鳥肌モノ!これまでラムシンのアルバムは聴いてきたが、ルークトゥンをノンストップで聴くと、こんなにベースラインがうねるのかと思うほどかっこいい。 さすが、ルークトゥン・ダンス・エアロビックである。もう腰が、足が、腕がうねるベースにあわせて勝手に動く!音作りも70年代ディスコミュージックのようなレトロなアプローチでいい感じである。 年季の入った上ずり声とコブシは聴くものをより深くルークトゥンの世界へいざなってくれる。 |
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| 2002年あたりからあからさまに機械音と分かるルークトゥンが出てくるようになった。 事のはじめはパメラーボーデンの「E-nang Dance」からであるが、それが彼女のような大御所的存在にまで波紋が及ぼうなど考えもしなかった。 映画「モンラックルークトゥンFM」でもコミカルな演技でお披露目し、これまでも「Chop Mai?」など明るく軽快なルークトゥンサウンドを披露してきたアーパーポン・ナコンサワン。そんな彼女の底抜けに明るい雰囲気がより強調された作品に仕上がっている。 彼女の歌のようなものは生のドラム音のような重い音ではなく、ここで聴かれるようなサンプリングしたスネア音のピッチを上げた音や、カンカンに張ったスネア音のほうがより彼女らしさが伝わってくるような気がする。パメラーのようなディスコ調のものもあるが、そもそもセクシー路線のパメラーとコミカル路線の彼女とは根本的に趣旨が違うため、こちらは嫌味なくすんなりと耳に入ってくる。特に4曲目はタイトランスとしても通用する曲である。音を機械化することにより、これまで以上に軽快な曲調になり、更に明るく能天気な作品に仕上がった本作はデジタルルークトゥンとしては傑作であることは間違いない。 |
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| 土星酒場のマリーナ号氏によると、彼の歌唱法は"レー"と呼ばれるものだそうで、こブシをヨーデル風にまわすものである。今はもう姿を消したバンコク市内の朝市のテープ屋で彼の歌を耳にしたときの衝撃といったらなかった。 若干鼻にかかった伸びのある声、そして感情移入というより何か「悟り」の境地を見出すかのような淡々としたラムに前述のヨーデル唱法…思わず聴き入ってしまうほどである。 現在モーラム・ルークトゥンに於いて全てを機械に頼った音源が多いが、本作ではソーをはじめ、ケーン、ピン、チン、クローンヤオの音も聴かれ、機械音はドラムマシンのみのようで、そういった意味でも珍しいアルバムといえよう。アルバム全体を通して聴くと多少マンネリ化するところもあるが、逆にこの歌い方1つで通そうとする根性が聴き手を惹きつける。VCDも見たが、歌うときにカメラ目線で流し目をする所が杉良太郎そっくり。 |
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| この男は曲者である。イントロが始まるや否やHoooo!といきなりテンションが高い。そして1曲目に入るまでの間は曲紹介、曲紹介が終わるとそのままラムシンらしく凄い早口で歌い始める。その後曲は止まることなく、2曲目へのつなぎの間はまた曲紹介とHoooo!…。この状態で片面ノンストップである。思わずレコーディング風景を想像してしまうのは私だけだろうか。 確かにその早口、コブシの回り具合や声量など、十分に達人の域に達しているが、それ以上にこのヤードンを両方の鼻の穴に突き刺したような、はたまたヤーバーでもやっていそうなハイテンションが気になる。 レコーディングでこのテンションだからライブでは更にテンションは高くなるのだろう。 一度彼のライブを生で見てみたいものだ。 |
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| ジャケから見ても分かるように、かなり若い頃のポンサック・ソーンセーン。 このヤサ男のモーラムというのがとっても微妙な線をいく。 クラビの音やバリバリのエコーがかかった彼のヴォーカルなどサイケチックな部分は数多いが、果たして歌唱力の部分ではいかがなものだろう? ただ、音的な部分だけを言えば、ひょっとすると彼は現在のモーラムロックをこのとき実験的にやろうとしていたのかも知れない。 ひたすら1コード、多くても3コードでゆったりと、それでいてぐいぐい攻めまくる彼のモーラムはロックサドゥーなどと同路線とも採れる。 80年代の彼の活躍はそれなりだったようだが、現在は彼の名すら聞く事はない。 バンコクではもう彼のテープすら見かけなくなったことから、既に「時の人」と化しているのかもしれない。 2000年以降に一度来日しているようだが、そのときもライブ終了と共にさっさとホテルに帰ったようだ。 やっぱり早く帰りたくてしょうがなかったようである。 |
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もう1本モーラム・シンのテープを紹介。 音楽というのはどのジャンルも枝分かれはしつつも大きく解釈すると時代が進むにつれテンポが速くなる傾向にある。勿論モーラムも例外ではない。 本来人間が持つリズムで一番気持ちいいとされるテンポがその時代のテンポであると解釈するならば、現代社会はなんと皆が死に急ぐ傾向にあるのだろう。 確かに2人の顔はいけ好かないし、明らかに数年、いや下手をすれば十数年前のスタイルであろうがしかし、当時のもっとも気持ちいい(ノリが一番いい)テンポというのはこういうものだったのである。 自分の心臓の鼓動と程よくジャムるモーラムシン。速度を求めるのに飽き飽きしたら一度聴いていただきたい。 |
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最後に...
その昔、日本の歌謡界では一つのジャンルで区分されるというより、1人1人のアーティストで区分されていたように思う。ここで紹介しているアーティストもモーラム・ルークトゥンというジャンルでは括れないほど様々なタイプの曲を歌っている。昭和時代の日本でも越路吹雪や美空ひばりらはジャンルでなく「越路吹雪」、「美空ひばり」と言うジャンルで括られていたように思う。
ラテンを歌おうが、シャンソンを歌おうが、演歌を歌おうがそれらは紛れもなく「越路吹雪」であり「美空ひばり」であったはずである。それだけ当時の日本の音楽は自由だったし、聴き手も柔軟な耳を持っていたのではないか?
現代の日本ではジャンルが細分化され音源を買うのには当たり外れが少なくなり、便利にはなったが逆にあまりにもジャンルにこだわり過ぎた結果、こと音楽に関して頭がかたくなってしまったのでは?と思う。
事実私より少し年配のかたに聞くと昔は今ほどジャンルが固定されていなかったと言う。
そして彼は現代の日本の音楽事情は当時より後退しているという。
やはり米国による文化的植民地支配化は今もまだ進行しているのか?